郡山ヨークパーク内覧会の「野越え山越え」と「ベニマル商法十二章」

朝5時に起きて、6時過ぎには家を出た。
そして東京駅に向かった。
東北新幹線に乗った。
やまびこ125号で76分。
これまで何度、郡山に来ただろう。
タクシーで西ノ内へ。
イトーヨーカドー郡山店があった。
バブル真っ盛りの1989年、
華々しくオープン。
私は食品商業編集長に就任したばかりだった。
そのイトーヨーカ堂郡山店が、
ヨークパークとして蘇る。
商人舎流通SuperNews。
ヨークベニマルnews|
ヨークパークに「西ノ内店(889坪)」2/28先行オープン
ヨークベニマル西ノ内店が、
2月28日に先行してオープンしている。
メディアから数十人が参加し、
3班に分かれて店内ツアーをしてもらった。
私は花粉症が酷い。
突き当たりの鮮魚部門は対面販売方式を導入。
この売場がとてもいい。
ヨークベニマルのオペレーションならば、
ずっとこの魅力を維持できるだろう。
精肉部門には特に力が入っている。
「福島Beef」のブランド牛は、
ヨークベニマルオリジナル厳選和牛だ。
そして惣菜部門。
かつて子会社のライフフーズによって、
日本のスーパーマーケット産業を牽引した。
いま体内化しているがその商品力によって、
依然、ヨークベニマルの核部門の役割を担う。
そして1階のいい場所にユニクロが入る。
一部報道は間違っていたらしいが、
ユニクロとは丁寧なコラボレーションが行われた。
2階にヨークベニマルの衣料品部門。
この売場には私も少しアドバイスした。
4層だったイトーヨーカドー郡山店を、
そのまま躯体を活かして、
エスカレーターでつなぐ。
いわゆる「GMS業態」だったものを、
「ヨークパーク」という、
ショッピングセンターに変えた。
これがこの店のコンセプトだ。
店内ツアーが終わってから、
記者会見があった。
その内容は月刊商人舎4月号で詳解しよう。
私も言いたいことがあった。
それも誌上で指摘しよう。
コンビニにはスピード感があって、
スーパーマーケットにそれがないわけではない。
真ん中左が大髙耕一路ヨークベニマル社長、
真ん中右が石橋誠一郎ヨーク・ホールディングス社長。
右が安藤公基ロフト社長、
左が味志謙司赤ちゃん本舗社長。
毎日新聞がこのヨークパークの記事を書いて、
一番最後に大髙さんを、
「会見に同席した」と付け足しのように表現した。
これはまったくの間違いで、
この物件開発の中心は大髙さんだ。
ここで訂正しておこう。
私が青果部門を見ていると、
大髙さんがわざわざやってきてくれて、
立ち話をした。
開発の苦労や意気込みなど、よくわかった。
それ以外にも堀越康弘取締役常務、
庄子鉄也経営計画室室長、
橋本宇広商品企画室室長兼商品企画部部長、
そして池田さやか経営企画室総括マネジャー、
多くの人に声をかけていただいて、
話をした。
帰り際に最後に、
吉田マスター店長。
宇都宮店がオープンした時に、
店長として取材に応じてくれた。
大髙社長は吉田さんを、
「わが社のエース店長です」と、
褒めていたけれど間違いなく、
この店をナンバー1店舗にしてくれるだろう。
ベニマルとは長い付き合いだ。
創業者の大髙善雄さんは、
商業界ゼミナールにいつも、
前掛け姿で参加して、
商人道のお手本のような人だった。
日本の食品店で一番最初に、
1億円を突破したのはベニマルで、
商業界ゼミのリーダーだった。
だから私も「ベニマルさん」を尊敬している。
「野越え山越え」の精神とベニマル商法十二章は
今でも日本の商売の原点だと考えている。
これを貫徹する限りヨークパークは、
ヨーク・ホールディングスを、
象徴する店になるに違いない。
ベニマルは間違いなく、
ヨーク・ホールディングスの、
中核企業になってきた。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
以前も書かせていただきましたが、ヨークベニマルさんは、バックヤードがまた一段と素晴らしいです。とても感動したのをよく覚えています。
いいチェーンストアかどうか。
それはバックヤードを見れば一目瞭然です。
吉本さんの仰る通りです。