「生成AI元年」と「女縁」と「強くて豊かな国」

吉本一夫さんが、
このブログに投稿してくれた。
昨日のブログへの意見だ。
金子みすゞの「積もった雪」と生成AIの創作力

「おっしゃるように、
AIを単なる手段、道具と考えてしまうと
生産性と効率を上げるだけの
狭い領域にとどまってしまうと思います。
かと言って、自らの思考を放棄して
AIに依存してしまうことも危険です。
AIをパートナーとして、
シナジー効果を発揮できる関係を築き、
創造的な仕事をしていきたいものです」
私の返信。
「吉本さん、ありがとうございます。
『AIをパートナーとして』
同感です。
私はともだち、同僚、相棒と表現しました。
もうそれしかない、と言ったところまで来ています。
将棋の藤井聡太名人や伊藤匠二冠を見ていれば、
『解』があると思います。
パートナーとして、生成AIとつながり、
そのうえで自分の将棋を指す。
すでにそれをやり遂げています。
生成AIを友とできない棋士は、
歯が立たない。
それが極めて教訓的な現在です」
今年はこのことに向き合う1年となるし、
AI君の「深層学習」は凄いスピードをもつ。
「ホリエモン」こと堀江貴文さんは、
「AI元年」と言い切って、
「ホリエモンAI学校」を始めた。
これは多分に学校の宣伝の意味もある。
しかし「金を儲ける」ことに徹する立場から見ると、
「AI元年」となるのは当然と言うことだろう。
「仕事」や「商売」に徹する立場でも、
「生成AI元年」と呼んでいいだろう。
だから月刊商人舎1月号の特集を組んだ。
お楽しみに。
さて2026年の現象は、
「生成AI元年」ともう一つ。
「女性総理大臣」だ。
出来るだけ発言は控えてきた。
「政治と宗教には口出しせぬ」
それが倉本長治と渥美俊一の遺言。
だから政治ではなく、
社会現象として見る。
日経新聞論説委員の石鍋仁美さん。
NIKKEI The STYLE「文化時評」に書いた。
これがいい。
「初の女性首相・高市氏とフェミニズム」
サブタイトルのほうがいい。
「なぜ女性の支持が分かれるのか」
「ガラスの天井を米国より先に破った。
しかも韓国の先例と違い2世政治家ではない。
女性が自分自身の力で
トップに立てる国だと示した事実は重い」
その通りだ。
半面、これを歓迎しない、批判する人たちがいる。
「長年、フェミニズムの立場で活動してきた女性たちだ」
ここが現象として実に不可思議に見える。
なぜか。
リーダー格の一人/上野千鶴子・元東大教授。
「高市首相の誕生を喜べない」と発言。

女性の権利を求めた人々が、
なぜ女性首相を手放しで歓迎しないのか。
疑問の声が主に男性から聞かれる。
上野さんの発言。
「1960年代の全共闘は平等や平和を掲げたが、
仕切るのは男子学生で女子は補佐役。
学生運動の退潮後、
女性のための運動が必要だと感じた」
その上野千鶴子さんが提唱する言葉。
「女縁」
巧い。
「戦後、血縁や地縁にかわり、
男性は職場の『社縁』に組み込まれた」
「はじかれた女性たちは地域活動などで
女性のネットワークを築き、
『無名通信』などのミニコミ誌を発行」
「女縁というつながりは
やがて世の中を変え、
弱い人が弱いままで生きられる社会が
到来すると説いた」
豊かになった日本は、
80年代、別の意味合いで
「女性の時代」を迎える。
消費者や有権者として
存在感を増した女性たちを背景に、
個人としての発信力を持つ女性たちが
表舞台で活躍し始めた。
象徴がテレビニュースという場だ。
後に政界に転身するのが、
小池百合子、高市早苗、蓮舫の各氏。
「親分・子分関係に頼れない彼女らの武器は、
語学力や『海外』『国際』を連想させるイメージ戦略だ」
そう、「イメージ戦略」。
語学力もないし、海外通、国際通でもない。
「80年代後半の男女雇用機会均等法成立後も、
女性は男性の2倍、3倍働いて、
ようやく平等に評価される時代が続く」
高市発言「働いて働いて……」は、
確かに当時の女性たちの労働環境を連想させる。
「制度や権利を巡る地道な改革と、
有名無名の個人の頑張り」
「途中まで相乗効果を見せた両輪が
かみ合わなくなった」
その要因。
石鍋委員は「経済の低迷」と分析する。
「非正規労働の広がりなどで、
理想社会の実現を待つよりも
今のゲームで生きのびることを
優先する気分が広がる」
その現象として女性誌は、
「自分らしさ」にかわり、
「モテるテクニック」を指南し始めた。
高市首相の誕生時、
恋愛の技術指南をネット投稿している若い女性が、
フェミニズムを突然、攻撃した。
「悪口ばかり。攻撃的で怖い。
自分は被害者だと言い続けるところが無理」
「飢えた人に魚を配るか。
魚の捕り方を教えるか」
「『それとも『飢える人を生む社会が悪い』と、
正論を説き、一緒に社会を変えようと誘うか」
高鍋さん。
「今、人々、特に若者の関心は、
生き残りに向いている」
「手をつないで遠い理想をめざすより
自分の足で立つ技術を知りたい」
「そんな思いが女性の高い支持率に
つながっているのかもしれない」
石鍋さんは断言を避ける。
「女性だから、女性首相を支持すべきだ」
「女性なのに、女性問題に関心が薄い」
「どちらの意見も、
女性は女性であることを
第一の規範にすべきだという発想で共通する」
「でも、もっと自由になってもいい。
歴史を見ても逆風下の組織や社会は、
女性リーダーを生みやすい」
「フェミニズムには
自画像を点検する機会かもしれない」
歯切れは悪い。
それでも指摘は正当だ。
「強くて豊かな国」
高市早苗の訴える日本。
国が強いというのは、
➀軍事的な強さ
②経済的な強さ
国民の「粘り強さ」などは、
国の強さとは言えない。
「豊かな国」は、
➀経済的な豊かさ
②情緒的精神的な豊かさ
高市早苗の主張はどう見ても、
両方の➀一辺倒だ。
軍事的な「強さ」と経済的な「豊かさ」。
それが良いか悪いかは、
それぞれ国民の判断に任される。
さらに「強くて豊かな国」とは言っても、
「一番強くて一番豊かな国」を意味してはいない。
だから実際は今よりもちょっとだけ、
「強くて豊かな国」を目指すのだろう。
私は「豊かさ」の②こそ大事だと思う。
「情緒的精神的な豊かさ」
それが比較的長い歴史をもっていて、
世界で唯一、原爆を落とされた国民が、
深化させていくべきものだ。
それでも肝心の現在の経済対策を見ると、
「円の信認が損なわれるような政策」ばかりで、
経済力の強さとは反対を向いている。

インフレを助長させて、
GDPの数字だけ上げる。
だから国民は決して、
経済的豊かさを享受はできない。
小売流通業の出番でもある。
〈結城義晴〉

































