Everybody! Good Monday!!
[2025vol㉑]

2026年第22週。
5月最終週。

訃報です。

鈴木敏文さん。
93歳。
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セブン-イレブンの実質的な創業者。
そしてそのコンビニエンスストアを、
日本最高のチェーンストアに育て上げた経営者。
だから「日本コンビニの父」である。

商人舎流通SuperNewsでも取り上げた。
訃報|
セブン&アイ鈴木敏文名誉顧問逝去、93歳/「日本コンビニの父」

5月18日(月)、心不全により逝去。

日経新聞の田中陽さんによると、
今週も小金井カントリークラブで、
ゴルフをする約束をしていたというから、
突然の逝去だったのだろう。

いわゆる「ピンピンコロリ」で、
その面では大往生。

最後の肩書は、
㈱セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問。

すぐに日経新聞の「私の履歴書」を読み返した。
2007年までの自伝だが、
これが一番、よくわかる。

かなり正直に自分のことを語っている。

しかし何かが足りない。

鈴木敏文の本質を真摯に表現した書物は、
いつか必要になるだろう。

書いてみたい気がする。

鈴木さんは長野県生まれ、
その長野県人気質が一生を貫いていた。

真面目で几帳面な堅物。
それも群を抜いた堅物。

子どものころから、
シャイで人との接触が苦手な性格だった。

しかしそれを打ち破ろうと、
高校では生徒会長になった。

中央大学経済学部に進んだが、
ここでも学生運動に引き込まれて、
書記長を務める。

1963年、出版物の問屋「取次」のトーハンに入社。
ここでは広報誌の編集に携わり、
労働組合では書記長。

モノよりもヒトに関心が強く、
そのヒトを動かすことに長けた人間だった。

それから㈱イトーヨーカ堂に転職。
労働集約型の産業への異動である。

初めは販促を担当していた。
やがて人事や管理を受け持った。

小売り現場で仕事をしたことがない。

自分でも言っている。
「私は販売も仕入れも直接携わった経験がない。
だから顧客の立場で考えるしかなく、
自身の顧客心理から、
『おいしいものほど飽きる』などと、
一見、理解しがたいことを言い続ける」

1973年、㈱ヨークセブンを設立。
米国サウスランド社と契約を結んで、
1974年、日本でのコンビニ展開を開始した。

それからのイノベーションの連続は、
いろいろなところで語られ、書かれている。

それが「セブン-イレブンの奇跡」と称された。

月刊商人舎6月号で「評伝」を書こう。

私自身も大変にお世話になった。

とは言っても鈴木さんに、
何度もインタビューをしたわけではない。
それは商業界の先輩の故緒方知行さんが、
独占的にやり続けた。

鈴木さんは多くの人の前では、
堂々と正論を吐くのを得意とした。

しかし一対一ではどういうわけか、
まったく会話が弾まなかった。
自戒している。

しかし緒方さんはその一対一の達人だった。
だから緒方さんはまるで、
鈴木敏文のスポークスマンのように、
鈴木語録を拡散し続けた。

私がお世話になったというのは、
鈴木さんと懸案の問題を解決したからだ。

私が商業界の食品商業編集長の時だ。

セブン-イレブンは、
加盟店向けの展示会を開催する。
その展示会場では毎回、
最新の品揃えモデルパターンが開示される。

そしてマスコミ各社は、
そのモデルを取材して、
雑誌や新聞で紹介した。

食品商業は1991年2月号で、
総力特集を組んだ。
「絞り込み」のススメIMG_E3340[1].jpg2

この特集は大好評で、
直後からチェーンストア業界の経営課題は、
「絞り込み」一色となった。

鈴木敏文さんは言っていた。
「絞り込みはいいが、
削り込みはダメ」

この特集の中でセブン-イレブンの棚割りが、
1987年と1990年で比較検討された。

その記事も好評だった。

するとセブン-イレブンの広報室から、
クレームが入った。

「棚割りは掲載許可を出していない」

その後の経緯はここでは書けないが、
両者の間で揉めに揉めて、
㈱商業界と㈱イトーヨーカ堂グループは、
結局、絶縁状態となった。

商業界は東京都港区麻布台にあった。
イトーヨーカ堂本社は隣の森ビルに入っていた。

隣り同士なのに交流がなくなった。
取材もインタビューもできなくなった。

しかし商業界の5誌の編集部は、
以前にもましてアンテナを鋭敏にして、
現場取材や外部取材を徹底し、
イトーヨーカ堂やセブン-イレブンの記事を、
必死で書き続けた。

それから13年後の2004年、
私は㈱商業界社長となっていた。

年末の12月30日に、
四谷に移っていたイトーヨーカ堂本社を訪れた。

前年の2003年に、
会長の座についていた鈴木敏文さんと、
二人だけで話をした。

そしてこの問題を解決した。

鈴木さんはやはり、
一対一はやりにくそうだった。
けれど私への思いやりがあった。
私は静かに感動した。

これは両者にとって、
歴史的な和解だった。

翌日の大晦日、
東京には大雪が降った。

その後、セブン&アイと商業界は、
通常の交流ができるようになった。

私が商業界の社長を退任して、
㈱商人舎を起こしたときには、
伊藤雅俊さんが発起人となってくださった。

もちろん鈴木さんとも、
変わらぬ交流を心掛けた。

しかし私は鈴木敏文という経営者に対して、
一呼吸おいて眺める癖が抜けなかった。
13年間の歳月がそうさせたのかもしれない。

伊藤さんに対してはそれがなかった。

鈴木さんが逝去されて、
あらためてその心の中に入っていって、
いろいろ聞きたいと思ったりする。

緒方さんとは全然、違った質問を、
私はするのだろう。

しかしもう鈴木敏文さんはいない。

心からご冥福を祈りたい。

では、みなさん、今週も、
元気を出して、鈴木敏文を見習おう。
大原則を貫こう。

Good Monday!

〈結城義晴〉

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