Everybody, Good Monday!
[2025vol⑪]
2025年第12週。
暑さ寒さも彼岸まで。
春の彼岸の週。
今日17日の月曜日が彼岸の入り、
20日の木曜日は春分の日。
23日土曜日が彼岸の明け。
彼岸商戦はつつがなく成果を上げたい。
ずいぶん日が長くなってきた。
東京の日の入りは、
昨日の16日が午後5時49分、
今日17日の日の出が午前5時49分。
今日あたりが昼と夜の時間が同じになる。
嬉しいかな、
気分が晴れる。
今日は午前11時からランチを挟んで、
夕方、3時過ぎまで編集会議。
そのあとも4時過ぎまでミーティング。
つくづく感じたことは、
実際に向かい合って話すのが、
一番いいということだ。
メールで連絡を取り合うのは、
補完的に使うのがいい。
オンラインも便利だけれど、
リアルに接することに比べると、
成果はずっと少ない。
懸案の問題が次々に解決されていって、
実に爽快な気分になった。
いい仕事が形になりつつある。
みんな、ありがとう。
さてほぼ日の糸井重里さん。
毎日のエッセイ「今日のダーリン」
その3月15日版。
「人は、35歳から50歳までの間を、
なんだったらほとんど同じ調子で
生きられるんです」
ん~、面白い。
「0歳から人はずっと成長し続けて、
だいたい25歳くらいまで
目に見えて大きくなります」
「心身ともに、
赤ん坊から大人になっていく25年です」
「で、35歳くらいになると、
子どもの背丈じゃないけれど、
その人が伸びるところについては、
だいたいの目処がついて、いちおう、
『その人』の完成形みたいなものが仕上がります」
納得。
私は36歳のときに、
編集長になった。
それが結城義晴の「完成形」みたいなものだった。
「そこから、そのときの実力のままで、
50歳くらいまでなんとか生きられます」
「見た目はそれ相応の
年の取り方をしていきますが、
35歳のころの力のままで
行けちゃうんですよね」
ここからが大事。
「だけど、
この35歳から50歳までの15年間に、
実は、道は二手に分かれるように
思うのです」
「”だいたいこれでいい”と
止まってしまう人と、
“まだ先はあるけど、
なにができるだろう”と思う人に」
「ほんとうは、
『まだ先はある』が現実なんですが、
それを意識しないでも
50歳くらいになれるから、
2周目の人生が来ないままの人も
大多数になります」
みなさんはどうだろう‽
糸井さんの意見。
「2周目の人生を
おもしろく生きている人たちは、
35歳くらいの『完成形』の先で、
挑戦してるというか、
なにかと変化をし続けているように
見えるんです」
糸井重里、自問する。
「おまえはどうだったんだ‽」と訊かれたら、
「ぼくは、いろんな偶然が重なって、
35歳から50歳は、
じたばたせざるを得なかったと思ってます」
「そのおかげで、50歳から後の
2周目がおもしろくなった。
運がよかったということのようにも思えます」
「おまえはどうだったんだ‽」
結城義晴に聞かれたら、
36歳で編集長になって、
必死の思いで仕事した。
そうしたら50歳のときに社長になった。
私の場合、社長は編集長の続きだった。
ただし会社は大きな問題を抱えていた。
それを解決せざるを得なかった。
ここでじたばたした。
そして問題を解決しかけた時に、
突然、社長を首になった。
そこでまたじたばたした。
すると「押す力と引く力」が作用した。
自分の会社をつくった。
大学院の教授になった。
産業内大学の副学長になった。
それまでと違う人脈、
異なる仕事をした。
自分の力ではない。
糸井さんと違って、
50くらいから、
「じたばた」しどおしだった。
糸井さんの結論。
「35歳くらいの『完成形』の時期から、
惰力で生きていくには、
その後の時間は長すぎるんでね」
「35の2倍生きても、まだ70なんだ。
あまりにも長いだろう‽」
そしてまだ、70歳には、
次がある。
私はそう考えている。
「じたばた」したほうがいいよ。
疲れるけれど。
「艱難は商人を鍛える」
私は最近、そう言い換えている。
では、みなさん、今週も、
したばたしよう。
Good Monday!
〈結城義晴〉