第97回選抜高校野球大会。
その決勝は和歌山対神奈川。
和歌山代表は智弁学園和歌山高校、
神奈川代表は横浜高校。
横浜高校は夏の甲子園選手権大会で2度の優勝、
春の選抜大会はこれで4度目の制覇となった。
それから1998年の松坂大輔投手の時代。
松坂世代は春夏を連覇した。
今回は2006年以来、
19年ぶり4度目の春の優勝。
主将で中堅手、3番打者の阿部葉太。
2年の夏の県大会から、
3年生がいる中で、
キャプテンとなった。
異例中の異例。
期待が大きかった。
1年時秋の新チームでは1番を打つ。
2年夏の神奈川県大会では打率5割1分9厘、
本塁打1、打点10。
4回戦からの4試合では11打数連続安打。
しかし県大会では準優勝で、
甲子園には出られず。
続く2年生の秋の県大会で優勝を飾り、
明治神宮大会で日本一を達成した。
6回のピンチには、
センターライナーをダイビングキャッチで好捕。
リーダーシップを発揮して優勝を勝ち取った。
これで新チームとなって以降で公式戦20連勝。
打者のスターが登場した。
頼もしい。
2020年から指揮を執る村田浩明監督。
横浜高校、日本体育大学を経て、
高校の教員として野球部を指導。
2020年に横浜高校監督就任。
まだ38歳にして聖地での初制覇。
采配が光った。
横浜が3対1でリードしていた6回。
横浜先発投手の織田翔希は、
いい投球で1点に抑えていた。
しかし1アウト3塁のピンチ。
打席は智弁和歌山の4番福元聖矢。
織田が2ボール2ストライクに追い込んだ。
すると横浜の村田監督はピッチャーを交代した。
被安打3だった右腕の織田に代えて、
左腕の片山大輔をマウンドに送った。
入念なウォーミングアップのあと、
片山への初球はインコース高めのスライダー。
見事、空振り三振をとる。
すると村田監督は、
1球で投手交代。
見ていて驚いた。
左腕エースの奥村頼人にスイッチした。
村田監督のコメント。
「片山のスライダーは初見では打てない」
つまり左腕片山のスライダーは、
初対戦の左打者には打てない。
しかし三振に切って取った片山に対しては、
「全てを出し切った。あの集中力は続かない」
そこで奥村につないだ。
その片山の弁。
「自分の中のベストボール」
いい仕事をしたという顔付。
「2ストライクになったら、
ワンポイントでいくぞと言われていた。
心の準備はできていた」
監督の事前の指示は的確だった。
それに応える選手も見事だった。
昨年秋から公式戦無敗。
村田監督。
「春はまだ通過点。
甲子園は選手を人が変わるぐらい
成長させてくれる場所。
夏に完成したチームで戻ってくる」
横浜ナインは夏に向かう。
神奈川県人、横浜市民として、
大いに盛り上がった。
さて千葉県の津田沼。
スタートは1978年。
サンペデックとして開業。
横浜高校の愛甲が優勝するのは2年後だ。
私が販売革新編集部に入って2年目だった。
よく覚えている。
国電津田沼駅南口に、
津田沼ダイエー(1万5456㎡)と、
津田沼髙島屋(1万1957㎡)が出店。
百貨店と総合スーパーの2核のショッピングセンターだった。
さらに52店のファッション専門店、
本格的なフードサービス18店。
駐車場は地下2階と平面で併せて1500台。
津田沼戦争と呼ばれた。
故高山邦輔先生とともに、
クリニック分析した。
しかし1988年8月には、
早くも髙島屋が閉店。
その跡にはダイエーが、
ディスカウントの「エキゾチックタウン」を出した。
ショッピングセンターの核テナントの構成は、
異なる資本の企業であることが条件だ。
最初は基本通りだったが、
10年にして基本から外れた。
2006年、野村不動産グループが、
この施設を買い取って大規模改装を行った。
2008年3月13日に、
「Morisia(モリシア)津田沼」として開業。
地下1階には、
イオンのスーパーマーケットと、
角上魚類が出店。
人気を博した。
しかし2017年夏には、
イオンモリシア津田沼店が営業終了、
ダイエーモリシア津田沼店として、
リニューアルオープンした。
それでも昨2024年11月11日、
野村不動産コマースが、
2025年3月30日に閉館を発表。
建物を取り壊して再開発される。
地下1階の角上生鮮市場津田沼店は、
2008年3月13日に開店。
鮮魚は「角上魚類」
精肉は「肉処大久保」
青果は「ヴェルジェ」
いつもの組み合わせ。
刺身盛り合わせは税込み850円、1200円を中心に、
飛ぶように売れた。
最後に「おわびと感謝です」
角上魚類市場は利益も出していたと思う。
けれどショッピングセンター自体は、
もう採算の出ない物件となっていた。
サンペデックから47年。
「ご苦労様」と声をかけよう。
〈結城義晴〉